主な登場人物
二谷 | 職場でそこそこ上手く立ち回っている29歳の男性会社員。この作中の主人公 |
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芦川 | 身体が弱く守りたくなるような存在の30歳女性会社員。料理上手 |
押尾 | 仕事ができ、自分でやり遂げる強さを持つ28歳女性会社員。自サバ系? |
あらすじ
「二谷さん、わたしと一緒にに芦川さんにいじわるしませんか」
と言う不穏な提案からはじまる物語り。
職場の人間関係、恋愛、そして食を通して描かれる人間の闇。
正しさとは優しさとは正義とは何か。
そして、多様性の時代にいる今、そんな考えがあってもいいと思わされる。
第167回芥川賞受賞作品。
感想・ネタバレあり
タイトルからのイメージでは、おいしい食べものの物語りを連想していた。
きっと癒されるに違いない、そう思って本を読み始めると不穏。
まさに「不穏」な言葉が似合う雰囲気を放っているのだ。
気分はもちろん癒されることはなく、ごはんもとてもおいしそうに思えない。
何なら二谷が、心の中で不味そうな表現で演出してくる。
この物語りは、そこそこ上手く立ち回るニッチな二谷という男と、仕事ができる自サバ系の押尾という女が同僚の芦谷という女にいじわるしようと、お酒を交わしながら企むことからはじまる。
そう、はじまりから不穏なのである。
いじわるされる芦谷という女は、可愛くて身体が弱くて職場のみんなから守られている存在だ。
しかし、可愛いからだけで守られているわけではない。
料理上手でいつもニコニコしていて、誰にでも優しく、そして儚い。そんなところが、さらに魅力が増すのだ。たとえ、正社員のみんなが残業しようとも、自分の仕事が残っていようとも、頭痛がひどいという理由で早退してしまう。それを批判する人はおらず、当たり前かのように彼女を労るのである。
それが面白くない、押尾。身体が弱いため仕事ができず、こちらに残った業務のとばっちりがくるのにも関わらず承諾するしかない。身体が強いものが仕事をする。弱いものは考慮される。
そこまでは納得するとして、なぜ周りのみんな全員が彼女の味方なのか。そこの納得は一番難しいかもしれない。
私自身にも苦手な人はいて、なのに人気があったり好かれていたりする。なぜ誰1人ともその苦手の人のことを苦手と思わないのか、考えても考えてもわからないほど不思議に思う人は1人だけではない。
芦谷に関しては、実際にこういう女はいそうでリアルさがある。私自身も身体が弱く、よく考慮してもらうことが多いため彼女を責めることができないし嫌いになることができない。
芦谷ほど考慮はしてもらえないし「気の持ちようじゃない?」なんて言われてしまうときもあるけど、休んだ分は何かでお返しはしなきゃいけない気持ちになる。
ただ手作りのお菓子を、職場のみんなに渡そうと思わないし、好きで作ったお菓子に対してのお金まで頂かない。
そして、何より押尾が助けた猫の件に関しては、押尾に同情してしまう。きっと芦谷には何を言っても伝わらない気もするため、いじわるしたくなる気持ちはわかる。
作中の演出では、二谷と押尾の心の中まで知れるのだが、実際に二谷の考えも押尾の考えも理解できる。芦谷の心の内は知れることができないため、何を考えているかわからないが、私はやはり自分の体調のこともあって彼女のことを非難できない。
二谷に関しては、ニッチ超えてサイコパスなのか?とも思えてしまった。
だがしかし、気持ちはわからないでもないのだ。
“人を祝うのも飲み食いしながらじゃないとできないのか”という発言に深く共感してしまった。
私は、女だが食に関して本当にこだわりがない。身体が弱い分、野菜ジュースを飲むようにしているが、一人分を作りたいと思わないし、美味しいご飯を食べるために県を跨ぎたくない。
高いランチで女子会とか苦手すぎて、リモートでお願いしたいくらいだ。いや、リモートなら断った方がいいか。だけど、一緒に料理をしたり、自分の作った料理を好きな人に食べてもらのは好きだ。
そのため二谷の食に関しては共感する。
ただ、彼女である芦谷のことを、押尾とのいじわる契約を結んだり、作ってもらったお菓子をぶっ潰す行為は心の闇を感じた。
始終、不穏な雰囲気が拭えないのだが、押尾が退職するときの最後の挨拶はスッキリした。
こんな職場、辞めたっていい。押尾は押尾を受け入れてくれる職場はいっぱいあるとさえ思えた。
そういえば、お菓子を捨てたもう1人の犯人は?
お菓子をぶっ潰して捨てた犯人は、二谷である。
しかし、綺麗にそのままの姿で捨てた犯人がもう1人いるのだ。
それは誰なのか?
答えはわからない。作中では、そのことについて深く掘り下げていないので、あまり意識しないでいい部分なのかもしれない。
しかし気になる。
きっと味方の顔した敵が、まだ他にもいるということが著者は伝えたいのかもしれないと思った。
人間の闇は底知れない。味方の顔した敵は、案外近くにいるものだ。
まとめ
「おいしいごはんが食べられますように」は、人間の闇が垣間見れる不穏な物語りだ。
主な登場人物に妙に共感してしまうところも多く、自分の中の闇とも向き合える、そんな作品であった。
ただ、藤のペットボトルの件、藤と芦谷の抱きつきの件、原田の正義感は心をざわつかされた。
そしてこの物語りのラストも不穏のまま終わる。
どうか、二谷、ついでに私も“おいしいごはんが食べられますように”
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